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《例会》西国三十三ヵ所札所めぐりシリーズ①
今熊野観音寺・清水寺
山行日
参加者
2019年9月9日(月)
2名
はじめに
 西国三十三ヵ所札所めぐり(略、札所めぐり)は、1300年続く巡礼旅ですでに経験されている方もおられると思う。小生は、当会の例会企画に採用され、出来るだけ多くの参加者を募りながら、自分なりの報告その他の話をさせていただく。札所めぐりを始めた動機は、千恵子さんの足のリハビリ目的だ。札所めぐりも中風・頭痛封じなどが動機で先人たちも始めていたことがわかってきた。よろしく、おつきあいを、「めいほう版・ブラタモリ」である。
  ① 第十五番札所 新那智山 今熊野観音寺
 京都駅から市バス208を9時過ぎに出発、まもなくして泉涌寺前バス停に下車、まもなくして今熊野観音に到着。今熊野鳥居橋を渡り、弘法大師と子どもが遊ぶ像が迎える。お堂が見えて集印をお願いする。初めて気づくのは、札所めぐりも複数あって、それぞれ集印の種類も違うことだ。要するに何回も来てくださいとう戦略だと小生は理解する。
 そもそも、今熊野界隈は、古くから開けていたらしい。国指定の天然記念物である「東山洪積世植物遺体包含層」がある。京都盆地が太古の時代「旧山城湖」の跡である証拠としての遺跡である。桃山断層・花折断層の運動で比叡山地が隆起し京都盆地も形成されていった。粘土層が多く含まれ古くから瓦や陶器が栄える土壌となった地域である。戦後、谷口善太郎が国会議員でこの地で活躍したが、氏は陶器職人で作家でもあった。
    
 ② 第十六番札所 音羽山 清水寺
 続いて、今熊野観音寺からトレイルの標識を見て、京都一周トレイル経由で清水山をめざそうと墓地の中を歩きだしたが、道は荒れておりあまり歩いてない様子だ。小生も一周トレイルを歩いたが住宅街を歩いた記憶がある。廃道になってしまったのか?
 バスに乗って五条坂で下車、茶碗坂から清水寺をめざす。清水寺は多くの観光客でいっぱいの様子。何回も来たことがあり、町の様子も日々変化している。小生が驚いたのが、陶芸家近藤悠三記念館がミュウジアムに改装され、入場券1000円の施設に変化したことだ。清水寺は、「舞台」が改装中で、シートで覆われており、思ったような写真が望めない。清水寺も4つの札所であるが、今熊野観音寺と違い、ご集印を扱う個所が4か所それぞれ受け付けている。有名な寺院は、そのような体制をとっているのが分かった。
 音羽の滝付近で一服休憩する。小生たちが休憩すると、立ちどころに一服する人たちが同じように休憩する。様子をみていると「京都の顔」のお寺だけのことがあり、色々な言語が飛び交っている。大抵は、近隣の東南アジア方面の家族連れ、友人同士が目立つ。帰り道、蜷川虎三碑を発見。そう言えば、清水寺再興の祖・大西貫主と蜷川知事の二人のショットの写真が小生の宅にある。「道はただ一つ、その道をゆく、春」有名な碑文である。
 
  番外 黄檗山・宇治黄檗宗大本山・萬福寺
 9月7日「歩こう会」で萬福寺にいった。4月にも事務局OB会ではじめて行き、境内の広さに驚いたものだ。この機会に報告させてもらう。江戸時代に開かれ、隠元禅師が開祖された。この寺の目玉の「布袋さん」の像が本堂にある。通常、お寺の中では、撮影禁止が多いが、三脚たてなければOKだ。布袋さんをとりまくそれぞれの観音像が面白い。また、境内の看板文字も独特な字体で中国風の雰囲気を感じさせるお寺である。徳川幕府も黄檗宗に寛容で隠元禅師に開祖させた。小生が、特に注目したことは、塔頭宝蔵院の所蔵する鉄眼道光の経文の一切経の版木である。彫刻で版木を作り、明朝体の字体のルーツを確立させた。日本の印刷技術の祖ともいえる版木で宗派の区別なく経文の版木が保存されていることだ。もちろん重要文化財であるが、「世界遺産」に登録に向けて宇治市が試みたが、何か要件を満たすことができず諦めたと聞く。「日本遺産」級の宝物であることを紹介する。
     
  
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