Top  会紹介/会員募集    山行案内  山行報告  会報「めいほう」  明峯囲炉裏端  談話室(会員専用)  お問い合わせ 


 地図を読む
 40数年登山をしていて、恥ずかしい話だが最近初めて知った読図に関する言葉がある。それは「クロスベアリング法」という言葉だ。調べてみるとどうやらオリエンテーリングで使う言葉らしい。そして、その方法とは、地図を勉強する時に、昔から必ず学習する方法なのだそうだ。私はその方法を、「クロスベアリング法」と言うことを知らなかっただけだったということが分かって、ちょっと安心した。(山と渓谷社が出している「山岳地形と読図」と言う専門書の中にもその言葉はなかった。)
 読図教室参加者の感想を読んで、その方法に習熟することがとても大切なことのように書かれている気がしたので、ちょっと気になった。先にも書いたが、私はこれまで40数年間、四季を通して登山をしている。高所で、広い尾根の上で、悪天の中で行動もしている(クロスベアリング法は天気の良い、見晴らしの良い時と所でないと使えないのだが…)。しかし、私のこれまでの経験の中でこの方法を使ったことは一度もない。なぜか?私は歩いて山に登るからだ。目隠しをして、ヘリか何かで突然尾根のどこかに降ろされたとしたら、この方法は必要だろう。しかし、そのような状況になることは登山では絶対にない。「登山口からずっと歩いているのだから、自分がどこにいるかなど、分らないはずが無いではないか。」と言うのが私の思いなのだが、それでも迷って今自分がどこにいるかわからなくなったらと考えた時、方法は知っておく必要があるだろう。しかし、それが完璧にできないからと言って悲観することは全くない。コンパスを使う時、多少の誤差は必ず出る。なぜなら、登山中はピチッと固定された板の上に地図を置いてやる訳ではないし、また、コンパスを体の正面に固定しても遥か遠くを指した場合、数度の(5度や10度位の)誤差など出て当たり前だと思っている。だからもしクロスベアリング法を使ったとしても、「自分のいる位置は大体この辺だ。」位で十分だと思うが、いかがだろう。
 地図に磁北を書き込んでいる人が多くなってきた。これはとても良いことだと思うが、私は、今までに書き込んで山に持っていったことは一度もないし、そのために道迷いをしたことも一度もない。磁北線が日本では5(九州)~9(北海道)度程度西偏していることは知っているが、それほどシビアな読図を要求されたことがない。私の今までの経験からいえば「大体東北東」とか「ほぼ南西」とか位(16方位)で十分だと思う。西偏何度が必要なほどシビアな状況で登山をすることがどれくらいあるだろうか。恐らく99%の登山者がそんな登山をすること等、まず無いのではないだろうか。
 そのような状況だったら登山をしてはいけないと言った方が良いかもしれない。とはいえ、出発してしまった後で天気の急変などにより、そのような状況になることはあるかもしれないので、進行方向と地図をきちんと合わせて進む方法は知っておかなければならないのはいうまでもないし、西偏の線を入れて行った方が安心だと思う人は入れていったら良いと思う。私も、カシミール3Dを使うようになってからは入れて印刷するようにしている。
クロスベアリング法や西偏何度と言うことが不必要だと言うことでは全くない。その反対だ。必要な時には使えるようにしておくのは大事なことなのだが、それほど神経質になる必要はないということだ。それより、登山での読図ではもっと大切なことがあるのではないかと言うことが言いたいのだ。
 「道迷いをするのは地図が読めないからだろうか?」と言う疑問が私にはある。私は、どうもそうではないと思うのだ。まず、地図が全く読めない人がどれくらいいるのだろうか。ほとんどの人は地図を持って山に行っているはずである。その人達は、どれが車道か、登山道か、頂上か、川か、谷か、尾根か斜面か位は分かるだろう。それが分かれば、(登山道のないところを行くというのなら別だが)登山道の中で、今、自分がどこにいるかくらいは分かるはずだと思う。なのに間違う。なぜなのだろうか? 一つには、登山の最初から順を追って自分の位置を確認して行っていないからなのではないだろうか。 
 
 ちょっと見にくいが、上の地図を見ていくことにしよう。坊村(明王院)から武奈ヶ岳までの西南稜だ。おおむね北東に登っているし、ほとんどが尾根上だから、まず迷うことはないと考えられるだろう。ところがここでも道迷いの事故が起こっているのだ。
 ちょっと地図を読んでみよう。川を渡り明王院(卍)の西を過ぎて直角に曲がり、すぐ登りになる。そのまま尾根状を310mくらいから840m位までずっと登り(①の部分の登りで②の少し上まで)である。方角は若干北東気味だが、ほぼ東と判断していいだろう。途中で少し傾斜の緩いところがあるのは分かるだろう(①と②の間で①に近いところ)。それを過ぎると急(①と②の②寄り)な斜面になり、そこから若干東北東気味に、尾根の少し北側を③まで登ることになる。③で完全に西南稜の上に出たことになる。
 次に、ここから一旦尾根から外れて東寄りの斜面をトラバース気味に進むようになる。青破線は冬季のルートで、最近は無雪期にもトレースらしきものがついてはいるが、正規の登山道はトラバースだ。③からは④の方へトラバース気味に進み、谷状の中に入り(④の辺り)、その後、尾根を北東に上がることになる(④と⑤の間)。非常に細かいことなので、地図を見てこのことが分かるだろうか…。その後、再び西南稜に戻り、ほぼ東へ90m(等高線9本)登れば御殿山(1097m)に着く。
 ここから北東へ40m(等高線4本)近く下ることになる。ここが「中峠」だ。ここから、武奈ヶ岳までの途中に、顕著なピークが2つある。最初は北東から北向きになり、1つ目のピークを越えれば北東方面に変わっていく尾根状をドンドン進むことになる。最後のピークを越えれば東に向きを変えて、武奈ヶ岳の頂上に着く。細かく言えばもっとあるだろうが、これが、ざっと坊村から武奈ヶ岳までの地図読みだ。
ざっとでもこれだけ読めば、周りの景色と比べながら今自分がどこにいるかはわかるだろう。ところがここでも道間違いした事故が何度も起きている。それは②の場所だ。ここで南に下る尾根に入って行ってしまうことが結構ある。最近では数年前、積雪期ではあったが、明王谷まで下ってしまい、2人の女性が亡くなるという事故だった。もしこの地点で地図を見て、東に下らなければならないのに南に下っていると気がついていたら…。でも、恐らく地図を見ていなかったのだろうと思われる。そのまま下ってしまったのだ。(それまでにもあったとは思うのだが)今はここにトラロープが張られている。
 地図が読めるとはどういうことだろうか?ここまで書いてきた中で、①が東北東気味に登る尾根、①②間に緩い斜面がある、③は尾根上、④は尾根から離れ沢(谷)に入る、⑥はピークでそこからルートは北東に変わる、⑦はコル、等と言うことが分かると言うことが、地図が読めると言うことなのだろうか。ほんの少し地図を勉強したなら(地図の記号や決まりを知ったなら)これが分からない人はいないだろう。これは地図の記号や決まりが分かると言うことで、地図が読めると言うことではないのではと思うのだが…。
では、地図が読めるとはどういうことなのだろうか。それは、地図と自分の周りの実際の地形とを合わせて、地図のこれはここ、実際の地形のこれは地図のここ、だから自分は今、地図上のここにいるなどと、間違いなく確実に照合できるということがその一つではないのだろうか。さらに、地図を見て、その地形が目の前に浮かび上がる、景色までが分かるという位になればさらに上達したと言えるのではないのだろうか。

 次に、私の犯した道迷いについて書いてみよう。次の地図は、私の住む花背から登る「雲取山」だ。私はここで2度、道迷いをしている。最初は今から10年ほど前。「らくなん山の会」の冬の例会での事だ。私達は尾根コースから雲取山へ登り、二の谷を下って一の谷出合へ戻っていた。私が先頭を歩いていて、沢を一つ間違えて地図の①へ入りこんでしまったのだ。一の谷の出会いとは、地図で見れば地形はよく似ているのだが全く雰囲気が違い、雪の積もった橋を渡ってまで、なぜこんなところへ入り込んだのか。寺山峠には一の谷出合から右へ登り返さなければならないと、ずっと思っていたからだろう。すぐに間違いだと気が付いた。本来なら戻らなければならない。しかし、私は、「せっかく迷った(!?)のだからこのまま先へ行って、元の寺山峠に戻れないか。」を考えた。地図を見ると先に進んで尾根まで登ればすぐに寺山峠に戻れることが分かる。斜面も急ではなく、危なそうなところもない。私はメンバーに現在地を示して道間違いをしていること、そのまま進んで尾根まで登って寺山峠に戻ることを告げて進むことを決定した。先がどのようになっているか、進めるかどうかを判断して、間違った道をそのまま進んだ。これはこれでその時のメンバーには良い経験になったのでは、と思っている。 
 
ページのトップへ戻る
  次は今年(2013年1月)の事だ。「明峯労山」の例会で、らくなんの時と同じように私達はラッセルを交替しながら尾根コースを進んだ。前日までの積雪が6~70cm程あった。ピーク899m前から私がトップになり、ドンドン進んだ。実はこのコース、1週間前にも通っているのだ。その時は、積雪は少なく樹間の見通しが効いた。ところがこの時には枝が雪で垂れ下がり、見通しが効きにくくなっていた。私は「ハタカリ峠」の標識が見えずに、メンバーが「おかしい。間違っている。」と言うのを聞き入れずに、そのまま北に向かって②のコースを200mほど進んだのだ。メンバーが標識を見つけて正しい道が分かってそれ以上進むことはなかったが、完全に私の思い込みによる道迷いだ。「思い込みは怖い。」を肝に銘じなければならない。
登山では道迷いをすることは、かなり注意していても起こることだ。その時、自分が「おかしい。」と気が付くか、メンバーが注意して正しいルートを見つけるか、何れにせよ全員で細心の注意をして、正しい道・ルートを見つけだすことが常に求められるのだ。

 さらに、道迷いをするかどうかは、単純な言葉でいえば「顔をあげているかどうか」によるところもあるのではないだろうか。要するに絶えず周りを見ているかどうかだ。道迷いをよくやってしまう人は、周りに目をやることが極端に少ないように思える。目の前のごく狭い範囲しか見ていないということだ。競馬馬と比べるのは喩えが良くないかもしれないが、競馬馬は横を見えにくくするのに遮眼帯を着けることがある。まさか人がそれを着けているとは言わないが、そのような状態を自ら作ってはいないだろうか。極端にいえばメガホンを望遠鏡のようにして覗いているような状態で、自分の前の道しか見えていなくて、はっきりした道が横にあるのに目の前の踏み跡や獣道に入りこんだりすることがあるのだ。周りを良く見ると、手掛かりとなる何かの目印やはっきりした登山道があるのに、だ。
 また、おしゃべりに夢中になっていたり注意散漫(何も考えていない)状態になっていたりして、肝心の目印や道標を見落としてしまうことや、分岐に気が付かずに間違った道に入ってしまうこともある。これは女性に多いかもしれない。山での道迷いがすぐに生死に関係するかどうかはその時の状況にもよるだろうが、下手をすると大変なことになることを肝に銘じておかなければならない。先の武奈ヶ岳西南稜もそうであったが、道に迷った挙句が転落事故につながった、ということなどもよくあることなのだ。

 整置(正置)、磁北線、真北、クロスベアリング、ベースプレートコンパスを使った直進法、等々。私はほとんど意識していなかったし、してこなかった。知らない事や知らない言葉も幾つもあった。当然だろう、特別な地図の勉強などしたこともないのだから。地図の勉強と言えば小学校や中学校で習ったのみ。でもほとんど道迷いをしたことがない。なぜなのだろう。私の勘が特に優れていて迷わなかったのか?そんなことあるはずがない。勘などでなく私も地図やコンパスをずっと使ってきた。では、どのように考え、使ってきたのか。自分の今までの使い方を振り返ってみることで検証してみたい。
 まず、私が知っていたことは、地図は上が北ということ。真北と磁北があると言うこと。それと小学校だったか中学校だったかは覚えていないが、ボール紙(当時は馬糞紙と言った)を、印刷された地形に合わせて切り取って重ねていき、等高線と地形の関係を学んだことがある、と言うことくらいだ。後はそれを自分なりに解釈して実地で使っていた。今まで40数年、それなりに厳しい所にも行ったのにほとんど道迷いをしなかったと言うことは、それ位の知識で充分だったということだろう。
 ではどのように使っていたのだろう。私は最近まで、シルバーコンパスのようなベースプレートの付いたコンパスで、リングが回ることの意味が全く分かっていなかった。何のためにこれが必要なのか理解できていなかったのだ。というより私にはその機能が必要ではなかったと言ったほうが正確だ。なぜか?
 私は現地で地図を見るとき、まず地図をコンパスの北に合わせる(後にこれが整置(正置)ということを知る)。これはもう習慣というより習性になっている。そうすれば周りの景色は全く地図と一致するのだから…。そうして自分の進むべき道を確認する。
 例えば京都北山で北側の林道から桟敷ケ岳へ登ることを例に見てみよう。下の地図で、林道から登山道への入口で、地図をコンパスの北に合わせると、林道は大きく180度カーブしているし、南に入っていく谷も確認できるし、そこへ入る道は林道(黒い実線)だと分かる。この地図と現地の地形は全く一致するのだ。それで、ここがこの地点だということがはっきりする。
そしてそれをどんどん入っていくと林道の終点で2本の沢が南東から入ってきていることが分かる。その南側の沢にルートがあることが地図から読めるだろう。しかもそれに入れば方角は南から南東に変わる。すると私はコンパスを見て、南東に進んでいるかを確認する。この時、地図はどの向きで見ても関係ない。上が北なのだから北から見て南東だと確認する。地図では私たちの進む道が南東になっていることを知るだけで、コンパスでその方向を確認するだけなのだ。そして峠までは沢筋を進むことも地図で確認できるだろう。
 次に祖父谷峠でも同じようにする。峠を越えたところに道があり、今度は南西へ向きが変わることを地図で確認して、コンパスで南西に進んでいるかを確かめて進むことになる。この後、同様にして、次のピークでは方角が、再度南東に変わり、尾根上を少し進めば東に変わり、そして徐々に南東に変わっていって桟敷ケ岳の頂上に到着することになる。その所ところで私はこのようにしてコンパスを使ってきた。だから、ベースプレートコンパスを使う必要が全くなかったのだ。昔、子どもの水筒に磁石が付いていたが、極端にいえば、私にとってはあれでも十分用を足したのだ。だから、ベースプレートコンパスを持って山に入っていたが、その機能を全く使ってはいなかったし、使う必要もなかったのだ。ただ北をはっきり確定出来れば、私にとってはそれでコンパスとしての用途としては十分だったのだ。
 
ページのトップへ戻る
 ここで、私が最近学習した地図の読み方と比較してみよう。まず、私は絶えず地図を北にして現地で実際の地形と地図とを合わせて確認をしていた。即ち私はいつも正置して地図を使っていたのだ。
 次に、上記のとおり、進む方向を地図で確認して、その方向をコンパスで確かめて進んでいたのだが、これ即ちベースプレートコンパスを使って直進する方法(後でその方法を書く)と同じなのだ。要するに地図とコンパスを使ってルートを外さず登山をするということは、地図で登山道の方角を確認し、コンパスで方角を確かめながら進むということに、距離や、尾根、沢、ピーク等の地図で分かる情報を足して使うという、たったこれだけのことなのだ。
 では何故道迷いをするのだろうか?何回も書くが、一番の原因は、その地点、地点で、現在位置を確認していないからだと考える。今、自分がどこにいるかが分かれば、どの方向に進めば良いかはすぐ分かる。地図を読んで道迷いを無くすとは、絶えず自分のいる場所を地図上で確認することに尽きると思う。これが出来ていないから(或いは確認を怠るから)道迷いをするのだ。そして、現在地の確認は登山口から行なわなければならない。登山口が、一番現在地が明確に分かる所なのだから…。
 私は以上のようにして、ルート確認しながら登山をしているのだが、ここで、ベースプレートコンパスを使った直進法(名前がないようなので、「プレコン直進法」と呼ぶことにする)を説明することにしよう。すごく簡単に出来るので、現地で試してみてほしい。 
 
 上の地図を見ていただこう。南側の沢の入り口(地点A)から祖父谷峠(地点B)まででやってみよう。地図はどの向きでもかまわないので、わざと横にしてある。
① とりあえず地図にベースプレートコンパスを置き、登山道入り口のAと祖父谷峠のBにそのコンパスの長辺を、矢印を進行方向に向けて合わせる。
② 次に地図を回して磁北線と磁針が平行になるようにし、そこにリングの矢印が重なるようにリングを回す。磁北線を入れていなければ、磁針を地図の縦の辺に平行に合わせてリングを回して矢印を重ね、さらにリングを7度程(この辺りは西偏約7度)反時計回りに回せば良い。これでコンパスのセットはOK。もう地点Bまでは基本的にはコンパスを見るだけで、地図は必要ない。
③ コンパスを体の正面に構えて、リングの矢印とコンパスの磁針が重なるように体を回す。リングの矢印と磁針の北がぴったり重なれば、プレートの先の矢印が進むべき方向となる。
同じように地点B(祖父谷峠)でもやる。矢印と磁針が重なるように体を回すと今度は南西の方向に進むことになる。このようにして次はその先のピークで、更に方向が変わる尾根上でと言うように、次々と「プレコン直進法」を使って進むと、やがて桟敷ケ岳の頂上へと着くことになる。分かっていただけただろうか。
 この方法、これが確立された欧米のような広いフィールドではすごい力を発揮するだろう。しかし、起伏の多い日本の山では尾根や谷があり、当然登山道も曲がりくねっているので、これで万全とはいかない。短い距離ならこれを使えるだろうが、長い距離になるとそうはいかないだろう。また、広い場所で、進む方向に障害物(岩や溝、沢など)があり、何10mも迂回したとして、そこでこの設定のままで進むと当然その分だけ目的地から外れることになる。このような短所をいつも頭の中に置いて利用しなければならない。
この「プレコン直進法」は、結局、私が今までやってきたことと同じことなのだ。私はリングを回してその矢印を磁北に合わすことはしないが、それをすれば当然矢印と磁北が重なることになるのだと言うことが分かった。私は、一回一回プレートを回すのも面倒くさいので、これからも今まで通りやっていくだろう。

≪道迷いをしないためのまとめ≫
① 道迷いは地図が読めないからではなく、絶えず地図を見て現在地を確かめないからだ。出発地から絶えず現在位置を確認しよう。
② 「おかしい。」と思える感覚や柔軟性を、地図を絶えず見ることで身につけよう。
③ 間違った時、行く手の状況に確信が持てない時には、時間がかかっても必ず確かな地点まで戻ろう。
④ 道標や目印、分岐、脇道などを見落とさないように、顔をあげて(周りを良く見て)歩こう。
⑤ 地図を見て、これから進む先の事を予想して歩こう。
⑥ おしゃべりや考え事に頭を占領させてはいけない。注意散漫が道迷いを起こす。
⑦ 「現在地を確認⇒先を読む⇒ルートをキープする」を繰り返して進む。


※ネットで調べていると村越真さんの文に行き当たった。読んでみると私が以前からやっている方法と全く同じことが書かれていた。自分がやっていた方法が間違っていないことが確認できた。氏はプレートコンパスは使用しないどころか、子どもがオリエンテーリングで使うコンパス(マイクロレーサー)を使っているそうだ。それにはベースプレートは着いているが、リングを回せないどころか度を示す目盛すらないという。私が、「昔子どもの水筒についていたコンパスで十分だった。」と言ったことと同じだ。何が大事か。氏は次のように書かれている。
①北が分かること。 
②自分の向いている方向が分かること。 
③進むべき方向に自分が向いているかを確認することができること。(地図を整置して正しい道かどうかを判断できること)。
 要は、「コンパスは北を確認するためのもの」と言うことだ。これこそ、まさに私がこれまでにやってきたことだ。また、最近ではヨーロッパの競技的オリエンテーリングの選手でも、プレートコンパスで直進する選手は少数派になっているとも書かれていいる。私達のコンパスの使い方も、再考する必要があるのではないだろうか。


クロスベアリング法とは?
 インターネットで調べてみました。「国立吉備青少年自然の家」の資料がとても良く分かるので無断ですが、出自を明確にして転載させていただきました。私が山で使ったことは一度もありませんが、読図の学習として、一度やってみて覚えておいてください。何かの時に役に立つことがあるかもしれません。 
 
ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system